アメリカ最後の夜
2006年4月30日朝早起きしておみやげを探しに一人で出掛ける。
まずは弟に頼まれていたアバクロに行って色々とお買い物。もちろん自分のも。
抱えきれない程の買い物。
BeBeで可愛いスーツを発見したけどサイズがデカイ・・・
彼に何か買ってあげたくてウロウロしたけどなかなかピンとくるものがない。
っていうかアバクロに長時間居すぎて、彼から電話がくる。今日は私から電話を
する約束だったのに、待ってもこないからって。なんとなく電話しづらかったのね。
もう私のために時間を割いてもらうのも悪い気がして。でも彼は一緒に買い物
してくれるっていうので、待ち合わせ。
大勢の外国人の中で彼の姿を発見すると安心する。
それから買い物して車で移動してご飯食べてまた買い物して。車の中で
「指さし会話帳」で英会話のレッスンして大笑いして、うちに帰ってから、
買ってきたものを広げて着たり脱いだりしてお互い「似合うじゃ〜ん」なんて
言ったり、ピアスを開けたばかりの耳を消毒してもらったり、何日か前に
私が切ってあげた彼の頭が気持ち良くてずっと触ってたり、二人でソファの上で
ウトウトしたり。
彼が買ったものを部屋に飾ったり、それが部屋に栄えるようにレイアウト
したり、掃除をしたり。
最後のごはんは冷蔵庫にあるものでチャーハンとサイコロステーキを作って
あげた。チャーハンって難しいからあまり作ったことなかったんだけど、
チャーハンオタクな弟が言ってた作り方でやったら、パラパラの美味しい
チャーハンが出来た。残さず食べてくれる彼を見てると幸せな気持ちになる。
と、同時にもうここを離れるという現実が押し寄せてきて胸が締付けられる。
キッチンに立っていても、洗濯を畳んでいても、涙が出そうになる。
別れが辛いのは、承知の上でアメリカに来た。でも予想以上に辛くて、
しんどかったけど、すべて自分で選んできた道。仕方ない。
彼は一緒にいようって言ってくれたけど、一緒に眠りたくなかった。もっと
辛くなるから。
くっついて眠りたい気持ちを押し殺して、朝方ホテルに送ってもらう。出発時間を
聞かれても答えず、「明日空港まで送るよ」という彼の優しさもはね除けた。
フロントのホテルマンにお願いして飛行機の便を早めてもらってタクシーの
手配もお願いした。
部屋に戻って、荷物の整理をしてたら彼が買ってくれた赤い靴が出てきた。
それを見たら、我慢してた感情が一気に溢れ出て涙が止まらなくて、彼に
電話をした。
ろれつがまわってなかったけど、彼はちゃんと聞いてくれた。
そして朝の5時半にホテルを出て空港に向かった。朝焼けがすごいキレイで
心に染みた。
彼と何度も通ったハイウェイも、彼の仕事場も目に目に焼き付けてきました。
早いことこの街を出ないとまた彼のところに戻ってしまいそうだったから
時間も告げず、送りも断った。空港まで送ってもらったら号泣してただろうな〜。
空港からまだ寝てるだろう彼のPCにメールを送る。
よし!帰ろう。
アメリカという国は自由で穏やかで(街によるだろうけど)、良いところでした。
孤独だろうけど、この街で暮している彼が少し羨ましくさえ感じました。
右も左もわからない、ムボーな日本人の女の子にみんな優しかった。
ペンを持って地図を書いてくれたり途中まで一緒に歩いてくれたり、優しかった。
私が東京にいて困った様子の外国人がいたら、きっと手を差し伸べてあげる
ことはないだろう。でもこれからは出来るような気がする。
アメリカは日本に比べて心が豊かなような気がしました。今回の旅で
得たものは大きかったと思います。
彼が大変な時期だっただけに、行ったことが良かったのか悪かったのかは
答えが出ないけど。
まずは弟に頼まれていたアバクロに行って色々とお買い物。もちろん自分のも。
抱えきれない程の買い物。
BeBeで可愛いスーツを発見したけどサイズがデカイ・・・
彼に何か買ってあげたくてウロウロしたけどなかなかピンとくるものがない。
っていうかアバクロに長時間居すぎて、彼から電話がくる。今日は私から電話を
する約束だったのに、待ってもこないからって。なんとなく電話しづらかったのね。
もう私のために時間を割いてもらうのも悪い気がして。でも彼は一緒に買い物
してくれるっていうので、待ち合わせ。
大勢の外国人の中で彼の姿を発見すると安心する。
それから買い物して車で移動してご飯食べてまた買い物して。車の中で
「指さし会話帳」で英会話のレッスンして大笑いして、うちに帰ってから、
買ってきたものを広げて着たり脱いだりしてお互い「似合うじゃ〜ん」なんて
言ったり、ピアスを開けたばかりの耳を消毒してもらったり、何日か前に
私が切ってあげた彼の頭が気持ち良くてずっと触ってたり、二人でソファの上で
ウトウトしたり。
彼が買ったものを部屋に飾ったり、それが部屋に栄えるようにレイアウト
したり、掃除をしたり。
最後のごはんは冷蔵庫にあるものでチャーハンとサイコロステーキを作って
あげた。チャーハンって難しいからあまり作ったことなかったんだけど、
チャーハンオタクな弟が言ってた作り方でやったら、パラパラの美味しい
チャーハンが出来た。残さず食べてくれる彼を見てると幸せな気持ちになる。
と、同時にもうここを離れるという現実が押し寄せてきて胸が締付けられる。
キッチンに立っていても、洗濯を畳んでいても、涙が出そうになる。
別れが辛いのは、承知の上でアメリカに来た。でも予想以上に辛くて、
しんどかったけど、すべて自分で選んできた道。仕方ない。
彼は一緒にいようって言ってくれたけど、一緒に眠りたくなかった。もっと
辛くなるから。
くっついて眠りたい気持ちを押し殺して、朝方ホテルに送ってもらう。出発時間を
聞かれても答えず、「明日空港まで送るよ」という彼の優しさもはね除けた。
フロントのホテルマンにお願いして飛行機の便を早めてもらってタクシーの
手配もお願いした。
部屋に戻って、荷物の整理をしてたら彼が買ってくれた赤い靴が出てきた。
それを見たら、我慢してた感情が一気に溢れ出て涙が止まらなくて、彼に
電話をした。
ろれつがまわってなかったけど、彼はちゃんと聞いてくれた。
そして朝の5時半にホテルを出て空港に向かった。朝焼けがすごいキレイで
心に染みた。
彼と何度も通ったハイウェイも、彼の仕事場も目に目に焼き付けてきました。
早いことこの街を出ないとまた彼のところに戻ってしまいそうだったから
時間も告げず、送りも断った。空港まで送ってもらったら号泣してただろうな〜。
空港からまだ寝てるだろう彼のPCにメールを送る。
よし!帰ろう。
アメリカという国は自由で穏やかで(街によるだろうけど)、良いところでした。
孤独だろうけど、この街で暮している彼が少し羨ましくさえ感じました。
右も左もわからない、ムボーな日本人の女の子にみんな優しかった。
ペンを持って地図を書いてくれたり途中まで一緒に歩いてくれたり、優しかった。
私が東京にいて困った様子の外国人がいたら、きっと手を差し伸べてあげる
ことはないだろう。でもこれからは出来るような気がする。
アメリカは日本に比べて心が豊かなような気がしました。今回の旅で
得たものは大きかったと思います。
彼が大変な時期だっただけに、行ったことが良かったのか悪かったのかは
答えが出ないけど。
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